東海村 原八(本名:若島康弘)病状について

2017.08.22更新
『twitter 』で随時告知しておりましたが、 2014年春に癌になりました。入院治療を経て、2017年8月現在、病状は落ち着いておりますが これまでの経緯を報告がてらまとめておきます。

1.2014年3月
癌になりました

■本年2月、ワンフェスの直後から左目が腫れてきました。当初を結膜炎の類かと思って いたのですが、3月、4月と何件かの専門医を経てどんどん詳しい検査を繰り返して 『副鼻腔内粘膜の悪性腫瘍』〜ということがわかりました。腫瘍のタイプは『NUTミッドライン カルシノーマ』 進行状況は『ステージ4』。比較的珍しく、また進行もひじょうに早いタイプ〜とのことで、 3月後半には 体調にも影響が出てきた次第です。

■左目の内側奥に大きな腫瘍ができていて、それが左の眼球を内側から外に向かって押し出す ように圧迫して外から見てもわかるほど眼球がズレてきました。視神経も引っ張られているのか 視力も数週間でみるみる落ちて、見ているモノの輪郭には七色の擬色が見えるように……。

■腫瘍は鼻腔の内側から骨を侵食(浸潤と言うそうです)左目周囲の骨に ズキズキとした痛み(モルヒネを処方してもらっていました)と脳への圧迫からの 頭痛も出て来ました。

■早速、身体の負担も大きい(毎週飛行機で出張する)大阪芸大のフィギュアコースの講師の件を大慌てで 後任の手配を海洋堂さまにつけてもらい(ちなみに、あさのまさひこ+大山竜〜両氏というかなり最強な 布陣になりました)仕掛かりの原型仕事も整理していきました。

■そんな中で模型塾は、自宅で週1開催〜と身体への負荷は小さい〜とは思っていたのですが、さらに 体調が悪化し、あれよあれよと入院、治療へのスケジュールが確定するに至って、2つのコースが思いっきり 途中のままでしたが、こちらも急遽中止、後半の予定を(21-D.21-E.コースと併せて) キャンセルとさせていただきました。

■参加途中やお申込みいただいていました皆様には大変ご迷惑をおかけすることになりましたが 斯様な状況のためどうかご容赦のほどお願い申し上げます。誠に申し訳ありません……

2.2014年4〜6月
入院、放射線+抗がん剤治療

■2014年4月後半に、私、東海村 原八は『がん研有明病院』 に入院しました。患部が脳に近いので外科手術での摘出は出来ない〜ということで 放射線治療と抗がん剤の点滴のセット治療を受けました。

■放射線治療は全体で70グレイを35回に 分けて照射。毎週月曜から金曜が照射で土日が休み〜なので4月後半から 5月まるまると6月の前半のほぼ2ヶ月間入院していました。

■並行しての抗がん剤投与は丸2日、薬剤を取り換えながらの点滴を 期間を空けて身体を休めながら3セット。同室ののどの癌の患者さんも ほぼ同じスケジュールだったので、ある種の典型的なメニューのようです。

■『身体を休める』必要があるのがよくわかるのはこの抗がん剤治療で 、実際に薬の副作用で吐き気に悩まされてフラフラになりました。また放射線 の方も医療ドラマでよく見るように、髪や眉毛が抜けたり、食べ物の 味がしなくなったり、鼻の内側の粘膜が焼けて鼻血が出たり〜と、苦しさは 抗がん剤はどではないものの副作用に泣かされました。

■反面、その効果は強烈で治療初日から頭の内側からの圧迫感がなくなり 左眼の腫れも素人目にもわかるくらいに日に日にひいていきました。結果、 体力的にはふらふら、体重も7kg痩せましたが、文字通り死ぬかと思っていた 頭の痛みは痛み止めを抜いても平気なほどにおさまって帰ってきました。

3.2014年6〜9月
退院、自宅療養

■2014年6月上旬に退院、そのまま自宅療養となりました。 治療の副作用で弱っていた基礎的な体力も少しづつ戻って、日常生活には まったく支障がない程度には回復しまして、仕事も少しづつ再開しています。

■左目の視力も圧迫が減って、少しづつ視力も戻っているんですが視野が まだズレていて、立体視が上手く出来ないのでさすがに細かい原型作業は難しいので とりあえずスケッチ仕事から無理のない範囲でやっています。また模型塾も 単発企画やフリー枠を様子を見ながら再開していきました。

■肝心の癌の方は入院治療の結果が出るのに1〜2ヶ月は必要〜ということで 確認の検査を待っていました。ただ先述の通り、放射線、抗がん剤治療ともに 身体への負担が大きいので、この先追加の治療が必要な場合でもすぐに〜とはならない かもしれないとのことで、いろんな意味での猶予期間となったのがこの夏でした。


4.2014年9月
転移と切除手術

■入院治療から3ヶ月、8月末、全身への転移を調べるPET検査で転移が見つかりました。 場所は左アゴ奥のリンパ節。その半月ほど前から外から触っても球形のしこりがわかる ようになっていたのですが、調べてみると左目奥の源巣部からの癌の転移でした。

■ただ、今度は外科的に切除が出来る場所だということで、たちまち準備を整えて 9月17日から2回目の入院、翌日手術となりました。

■手術は左アゴの裏から鎖骨にかけて、首の皮を大きく切り開いて、問題のしこりを をはじめ、転移が疑われる10数個のリンパ節を電気メスで切除するというもので 、初体験の全身麻酔から5時間強の手術は(特に苦もなく)無事終わりました。

■逆に、参ったのはこれも初体験の尿道カテーテルで、麻酔が切れて意識が戻った 瞬間から、猛烈な尿意と残尿感!力の入れどころも抜きどころもわからないまま、一応 尿そのものは出てるらしいのですが、その尿意と残尿感が常時続いていてどうにもなりませんでした。

■手術の翌日、ようやく抜いてもらえるんですが、看護師さんがもう半分不意打ち的 にエイヤ!っと引っこ抜くんですが、ここでも激痛。今回の一連の病気で一番の叫び声を。 『ようやくちゃんとトイレ行ける!』と駆け込むと、これまでの尿意に反して、激痛 とともに『ぷすぷす〜』と尿道にたまっていた空気の泡が出る始末……。

■手術に伴う安静が必要な場合にはこの尿道カテーテルは必須らしいのですが、 みんなこんな大変なのに耐えてるの……!?と愕然とした体験でした。



5.2014年10-12月
2セット目の放射線治療

■手術の影響で、左頬からアゴ、首にかけてのリンパの流れが断ち切られるので 術後しばらくは顔の左半分がぱんぱんに腫れます。首も上手く回らない、肩が凝る 口も半分ほどしか開かなくなりました。

■術後の後遺症としては典型的なもので、対処となるリハビリやマッサージ も教えてもらい一ヶ月ほどかけてそれなりに落ち着いてきた頃から、今回の患部 (左アゴの下)を中心に予防と、事後処理を兼ねて放射線照射を行う〜とのことで、 2セット目の(全33回)照射を10/28(火)から12/15(月)まで行いました。

■最初の4月の治療と違って抗がん剤投与はないので、身体の負担も少ないので 入院しなくてもいけるでしょう〜とのことで、全部通院でお願いしました。機械の予約 時間は平日の10:40頃。朝9:00に新橋の喫茶店でモーニング食べてゆりかもめに 乗るとちょうど良いくらいで、久々の定時通勤の気分を味わいました。

■抗がん剤がないので、吐き気でふらふら〜にはならなかったんですが、それでも 最後の1週間は身体にダメージが溜まり、食べ物の味もすっかりしなくなって (放射線で味蕾が焼ける)ろくに食べられなくなって、相応に辛い治療でした。

■またちょうど私が放射線治療を終えた翌日、おなじ病気先輩として励ましてくださった 水玉 螢之丞さんが亡くなったと聞いたのもこの時期忘れられない話になりました。


6.2015年2月
2セット目の切除手術

■それでもどうにか無事に年を越して1月、最初のPET検査で またもや怪しい影が見つかりました。

■場所は右アゴの裏側。先に切除手術した部位のちょうど反対側です。 前回は外から触ってしこりが分かって画像もクッキリとしていたんですが 今回は触感は無し、画像もぼんやりしています。協議の結果、癌じゃないかも しれないけど、癌だったらやはり大変なので切除手術をすることになりました。

■入院の段取りから手法、スケジュールまでほぼ前回と同じ。2/10(火)に 入院。2/12(木)に手術。尿道カテーテルは今回も地獄でした。全く慣れたりしません……。

■今回も術後の経過は順調、投薬もすぐに終わって、あとは体力の回復を待つ 〜ということで2/20(金)早々に退院させてもらいました。


7.2016年5月
左目奥の癌再発と
サイバーナイフ治療

■しばらく症状は落ち着いていて、仕事や生活も以前とほぼ同じに戻っていたんですが、2016年4月中頃から 左目が腫れてきました。

■体感的には、最初の癌の発生時とほぼ同じで、すぐにCTとMRIで検査を受けた結果、最初の患部、左の副鼻腔(目頭からおでこの奥 、鼻からつながる空洞部分)の癌の再発でした。

■かかりつけのがん研有明病院の専門チームで検討したところ、他の部位への転移は見られないことから 『サイバーナイフ』という放射線治療の一種で治療することになり、紹介状を書いてもらって、5月の最終週 その機械と運用ノウハウのある広尾の日赤医療センターに通院で治療を受けました。

■放射線の照射自体は5日で終わるんですが、癌細胞が減っていくのはそこから多少時間がかかる〜ということで 夏の6〜8月にかけて数回のCT検査を受けた結果、無事患部も治まって、腫れや圧迫感も引きました。 放射線の副作用として目まいが多少残っていますが、再発前のコンディションにもどっています。

8.今後について

■2018年2月現在、再発をひとまずしのいで、再度定期的な経過観察〜 という段階になっています。最初の2014年4月の放射線治療で70グレイ、今回のサイバーナイフ で30グレイの照射をしてる〜ということで、許容量に達しているので、次はもう放射線は使えない とのこと。まあ、そういう病気なのでしょう。

■とりあえず、現状は、体調もすっかり戻って、普通に暮らしています。左目は、まだ神経は生きていますが、 放射線治療の副作用で白内障のよう水晶体が濁ってきて、ほとんど視力はありません。今は幸いデジタル技術が あるので、ペースは落ちていますが、それなりに原型やデザイン仕事も出来ています。

■また最新情報はtwitterからお知らせしていると思いますので そちらもご覧ください……。